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Nietzsche ニーチェの軌跡

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

「超人」と「権力への意志」

「超人」と「権力への意志」

晩年のニーチェは、永劫回帰という概念を用いて消極的ニヒリズムやルサンチマンを否定し、生を肯定するために、「超人」と「権力への意志」という概念を示した。 超人思想とは、能動的ニヒリズム的に生きる姿といった概念です。「生の肯定」として、永劫回帰の中で「生きること」を肯定して生きるということ。「ツァラトゥストラはこう言った」などで示した。 権力への意志とは、生の本質として、内的条件が外的に適応するというものではなく、それそのものとしてあるものということ。遺稿集のタイトルにもなっているが、力への意志と表現されることもある。
超人思想とは、ニーチェが「ツァラトゥストラはこう言った(Also sprach Zarathustra)」あたりで示した、能動的ニヒリズム的に生きる姿といった概念です。「生の肯定」として、永劫回帰の中で「生きること」を肯定して生きるという感じです。 力への意志(権力への意志,Der Wille zur Macht)とは、生の本質として、内的条件が外的に適応するというものではなく、それそのものとしてあるものという感じです。 超人思想と力への意志(権力への意志)
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諸行無常は矛盾しない

諸行無常であるならば、諸行無常すら諸行無常なのではないか?
いや、諸行無常は矛盾しない。
諸行無常は理であり、対象が「諸々の形成されたもの」の変化を示すものだからだ。
諸行について、意味がわからずに「すべてのもの」を示すということを言う人が多いが、すべてのものを示すのであれば、仏教用語のセオリーから言って、それは「色」になるはずだ。
諸行無常を解釈する時に、諸行を「物」として考えてはならない。受想行識という概念から諸行の行を捉えなければならない。そうすると、行は、「形成作用」や「形成されたもの」を意味する。

そういうわけで、一切の形成されたものは常に変化する、というのが諸行無常であり、諸行無常自体は理であるため、形成されたものではなく対象とならない、よって矛盾はしない。

諸行無常

慈善家の世話と期待

慈善家の世話と期待。自立心があり、世話をする側ほど粗末に扱われる。出来の悪い世話をされる側ほど目にかけられ、世話をする側に好かれる。慈善家である助ける側は、頼られている、役に立っているという一種の満足感と、それを愛情だと錯覚しているところがあり自分の生き方の条件にしている。 慈善家

仲間の数を集めようとする弱い宗派

仲間の数を集めようとする弱い宗派。宗派に限らず何かの思想団体のようなものは、数で勝負しようと、仲間を見つけようとする。それには、数の力による発言権の獲得の意図もあるが、主義や狭義を多数の力で信じたいという意志の弱さや論理的な不完全性を示すものでもある。新興宗教・カルト宗教でなくとも、何某かの思想を持った団体、主義や主張を持った組織にはその傾向がある。 弱い宗派

肉体を呵責する聖者

肉体を呵責する聖者。自己観察を行えば、肉体を呵責することはできる。たくさんの自称聖者・自称聖人がいますが、周りの人からの評価ではなく、己自身が聖者たるかどうかが問題です。それは心の安穏によって示される。聖者たるものは欲を持ちながら「我慢」をしているのではなく、それこそが苦しみだと気づくことで達することできる領域。聖者

仏と供養の具体的矛盾

仏と供養の具体的矛盾。人に説き、矛盾したことを話していることに本人が気づいていないという場合。無い対象に何をやっても空振り。先祖の概念は、自分の意識の中だけの問題である。それを他人が何かをして何かが解消するという構図は、免罪符という詐欺と変わりない。 具体的で生き生きとした矛盾

謙り、遜りと自己欺瞞

謙り、遜りと自己欺瞞。自分を欺き、へりくだった時に、ふと、「自分を欺いてへりくだるのをやめよう」ということを気づいた瞬間。 謙ることが、遜ることが求められることがあるが、そこには欺瞞があり、自己評価の低下の暗示要素がある。 へりくだりの欺瞞

不平家の不平

不平家の不平。不平等としての「公平ではない」という状態がある。 公平であるべき対象はなるべく不平ではなく公平であるべきであるが、べき論である。 不平とは何かを不満に思っていて、心が穏やかではないことを意味する。 不平家とは、そうした不平や不満をもつ者、「公平ではない不平な状態」を厭い嘆く者。 不平家

悪い気質の由来

    多くの人間の気質の不正なところや突飛なところ、彼らのだらしなさや節制のなさなどは、その祖先が犯した無数の論理的な不正確や、不徹底、また性急な推論などの究極の結果である。 曙光 247 前半

論理的な不正確というものは、それがどう不正確なのか知るには、通常は正確な論理というものが必要になります

体系への意志は正直の欠如

体系への意志は正直の欠如である。
私はすべての体系家を信用せず、彼らを避ける。体系への意志は正直の欠如である。 (偶像の黄昏 箴言と矢 26)
学者が新しい概念をすぐに作り、すぐにそれが一般的な概念かのように知れ渡ってしまうようなことがよく起こる。一種の体系化である。 但し書きがつくような新しい分類 そこには把握しないと怖いという恐怖心もあり、また自己顕示欲もある。 抽象性を嫌い、自然を解体し、物事を仔細に把握しないとと不安が拭えないという、雑な人間の気質が垣間見れる。

倫理の否定者 道徳学者

自然の法則をはじめて見ること、しかも全面的に見ること、それゆえ指示することは(例 略)、そのような法則を説明することとは何か違ったことであり、違った精神の持ち主の仕事である。 二種類の道徳学者 曙光 428

「倫理を否定する」― このことは第一に、人間の申し立てる倫理的な動機が実際に彼らを行為に駆り立てたのだ、ということの否定を意味しうる。倫理の否定者には二種類ある 曙光 103

魂の呵責と憤慨

魂の呵責について「他人の身体に何らかの呵責を加えるなら、今日では誰でも大声で叫ぶ。そんなことができる人間に対する憤慨は直ちに起こる」。人がすごく憤慨する瞬間は、自分では何となく不服に思いつつ一応守っている各種「制限」、つまり社会的なルールを逸脱している人を見たときだったりします。

魂の呵責について

五取蘊の取は執著

五取蘊の取は執著である。 五蘊は色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊である。 五蘊盛苦・五取蘊苦と五蘊苦 五蘊盛苦・五取蘊苦と五蘊苦

犠牲の倫理と道徳

犠牲の倫理と道徳。未開の段階の道徳。倫理や道徳と犠牲の概念を教育が一方的に定めていることに違和感がある。

犠牲の道徳

女嫌いの理由。

女嫌いの理由。IQ低い、卑怯、浪費、ルールを守れない、負けると集団で攻めてくる。女嫌い

愛玩動物という言葉

愛玩動物という言葉を筆頭に家畜果ては「経済動物」などという呼び方は、人間が人間との間で勝手に使っている言葉です。愛玩動物という表現は良い表現だとは思えない部分があります。「玩」という字が含まれているからです。姿やしぐさ、声などを楽しんだりすることを目的に飼育される動物、と、当の動物たちからすれば言われる筋合いのない言葉です。家畜に対する捉え方は生命維持というところから来ていますが、愛玩動物という捉え方は、必要性自体はなく、「ただ人間の感情のために利用する」というようなところから来ています。

家畜、愛玩動物

誇りやしたりと優越感

誇りやしたりは、自分だけが秘密を知っているという一種の優越感であり、弱者が強者に勝っているという自己陶酔をするための一種のルサンチマンでもあります。ニーチェは、ルサンチマンが大好きですから、価値基準のすり替えという点について触れることが多く道徳の系譜以降そればっかりです。
彼は相変わらず歯を食いしばり秘密をしっかりと守っている。諸君は人間の誇りの歓喜について何を知っていようか! 曙光 229

馬に抱きつく

馬に抱きつく気分も理解できる。

ルサンチマンを持つ状態

ルサンチマンを持つ状態とは、実際の行動をとるには社会的な制約があり、自身の無力を痛感している状態であり、社会的に強者であれば、嫉妬や反感などの感情に主体的に行動することができるため、フラストレーションを克服することができる可能性がある。ルサンチマンを持つ人は非常に受け身かつ無力でフラストレーションを溜めた状態にある。

悲観主義とニヒリズム

ニヒリズムは悲観主義(ペシミズム(pessimism))に近い概念として解説されることがあるが、悲観主義はなにかの期待を持っており、何事も悲観的に考えつつこの世界は悪と悲惨に満ちたものだという感覚を持つ。しかし、一方ニヒリズムは、全ての物事や現象に本質的な価値はないというフラットな感覚である。
悲観主義の裏には人に対する縋り根性がある。

「意志と表象としての世界」の虜に

ニーチェは、ライプツィヒ大学在学中にショーペンハウアーの「意志と表象としての世界(Die Welt als Wille und Vorstellung)」を本屋で購入して、この本の虜になる。

ニーチェとヴァーグナー

ニーチェは学生時代からヴァーグナーに心酔し、1868年にライプツィヒでヴァーグナーとの対面している。しかし、後年ヴァーグナー批判を始め「人間的な、あまりにも人間的な」で決別の意を示した。この「人間的な、あまりにも人間的な」は、ヴァーグナーからも反論を受け、両者は決別し、再会することはなかった。

24歳でバーゼル大学古典文献学の教授に

ニーチェは24歳でバーゼル大学古典文献学の教授になった。この時、教員資格も博士号も取得していなかった。ニーチェは哲学を希望していたが結局古代ギリシアに関する古典文献学が専門となる。

リッチュルのもと文献学を修得

ニーチェは、ボン大学でフリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルのもと文献学を修得。

ソクラテスやアリストテレスの妻

ソクラテスのクサンティッペは相当の悪妻で有名。 アリストテレスの妻はピュティアス。 アリストテレスと結婚

プロフィール

HN:
Nietzsche memo
性別:
非公開
自己紹介:
Nietzsche
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
ドイツの古典文献学者、哲学者。
ニーチェ自身は「心理学者」を自称。

哲学、ニーチェ