ルサンチマン(ressentiment)
被支配者あるいは弱者が、支配者や強者への憎悪やねたみ、怨恨を内心にため込んでいること。このうえに成り立つのが愛・同情といった奴隷道徳。全ての高貴な道徳が、自己自身への勝ち誇った肯定から生じて来るのに対して、奴隷道徳は始めから外部、他者、自己でないものに対して否を言う。そしてこの否が奴隷たちのせめてもの創造的行為
ルサンチマン (ressentiment)とは、「弱者による強者に対する怨恨」とするのが一般的です。怨恨の他に憤り、憎悪・非難、単純に僻みという風に説明されたりします。キェルケゴール発端ですが、ニーチェも「道徳の系譜」以降さんざん使う言葉です。ニーチェの場合は、さんざん使うというより、彼としては考えの一種の主軸になっています。
一般的な定義である「弱者による強者に対する怨恨」という面をそのまま読んでしまう前に、弱者とは何なのか、強者とは何なのか、という点について触れていきましょう。そして、その後に「怨恨」も考えてみましょう。
ルサンチマン(ressentiment) 「善」の基礎にある怨恨感情をルサンチマンという。「ルサンチマン」はフランス語で、弱者が強者に対してもつ「恨みや妬み」といった感情を示すと説明されるが、ルサンチマンは感情そのものではない。
奴隷と対になる君主側の「君主道徳」と相対化した上での奴隷道徳が「弱者」の側にある。
君主に対して抱く「感情」がルサンチマンであると説明されるが、感情ではなく思考上の解釈変更がルサンチマンである。
奴隷道徳の前提の上で、どう自尊心を維持するかというような側面がルサンチマンである。
ルサンチマンとは、ドイツ語の「Ressentiment」に由来し、主に哲学者ニーチェによって分析された概念である。これは単なる嫉妬や怒りとは異なり、抑圧された不満や敵意が内面に蓄積され、それが外部の対象に向けられる複雑な心理状態を指す。ルサンチマンは特に弱者が強者に対して抱く感情として説明され、社会的、倫理的な文脈で深く議論されてきた。
ニーチェはルサンチマンを「奴隷道徳」の根幹と位置づけた。彼によれば、力や権威を持つ「貴族的な」価値観に対し、直接的に対抗できない弱者は、自らの無力さを正当化するために「善悪」の価値観を反転させる。この過程で、弱者は自身の無力を「善」とし、強者の力や成功を「悪」と規定し、心の中で敵意を燃やすが、それを直接的に表現できないため、内向きの憎悪となって蓄積される。これがルサンチマンである。
ルサンチマンは、個人の心理だけでなく、社会構造や文化の形成にも影響を与える。例えば、社会的抑圧や不平等により自己肯定感を持てない集団が、その不満を共有し、既存の価値体系を否定しながら新たな価値観を構築する場合がある。これにより「被害者意識」や「復讐願望」が集合的に強化され、社会的対立や分断の温床となりうる。
また、ルサンチマンは政治的な文脈でも利用されやすい。指導者や運動が、弱者や抑圧されたとされる人々のルサンチマンを扇動し、不満を集めて支持を得る例は歴史的に多く見られる。だが、この戦略はしばしば建設的な対話や解決を阻み、憎悪や排除の連鎖を助長するリスクを孕んでいる。
心理学的には、ルサンチマンは自己肯定の不足と強い自己防衛の欲求が絡み合った状態ともいえる。対象に対する直接的な行動が困難なため、感情は内面化され、自己破壊的な感情や他者への攻撃性に転じることがある。これが精神的健康に悪影響を及ぼし、社会的孤立や対人関係の悪化を招く場合もある。
ニーチェはこのルサンチマンを乗り越えることを「超人」の条件の一つとした。自らの弱さや怒りに囚われることなく、自らの価値を創造し、他者の評価に依存しない精神的自由を獲得することが重要であると説いた。ルサンチマンに支配されることは、自己欺瞞や受動性を強め、真の力を発揮する妨げとなるためである。
現代においても、ルサンチマンは個人や集団の心理状態を理解する上で重要な概念である。社会的不満や文化的対立、政治的ポピュリズムの背景にはしばしばルサンチマンの存在が指摘される。これを認識し、健全な自己肯定と他者理解を促すことが、より成熟した社会形成の鍵となるであろう。
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