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Nietzsche ニーチェの軌跡

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

肉体を呵責する聖者

肉体を呵責する聖者。自己観察を行えば、肉体を呵責することはできる。たくさんの自称聖者・自称聖人がいますが、周りの人からの評価ではなく、己自身が聖者たるかどうかが問題です。それは心の安穏によって示される。聖者たるものは欲を持ちながら「我慢」をしているのではなく、それこそが苦しみだと気づくことで達することできる領域。聖者
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仏と供養の具体的矛盾

仏と供養の具体的矛盾。人に説き、矛盾したことを話していることに本人が気づいていないという場合。無い対象に何をやっても空振り。先祖の概念は、自分の意識の中だけの問題である。それを他人が何かをして何かが解消するという構図は、免罪符という詐欺と変わりない。 具体的で生き生きとした矛盾

謙り、遜りと自己欺瞞

謙り、遜りと自己欺瞞。自分を欺き、へりくだった時に、ふと、「自分を欺いてへりくだるのをやめよう」ということを気づいた瞬間。 謙ることが、遜ることが求められることがあるが、そこには欺瞞があり、自己評価の低下の暗示要素がある。 へりくだりの欺瞞

不平家の不平

不平家の不平。不平等としての「公平ではない」という状態がある。 公平であるべき対象はなるべく不平ではなく公平であるべきであるが、べき論である。 不平とは何かを不満に思っていて、心が穏やかではないことを意味する。 不平家とは、そうした不平や不満をもつ者、「公平ではない不平な状態」を厭い嘆く者。 不平家

悪い気質の由来

    多くの人間の気質の不正なところや突飛なところ、彼らのだらしなさや節制のなさなどは、その祖先が犯した無数の論理的な不正確や、不徹底、また性急な推論などの究極の結果である。 曙光 247 前半

論理的な不正確というものは、それがどう不正確なのか知るには、通常は正確な論理というものが必要になります

倫理の否定者 道徳学者

自然の法則をはじめて見ること、しかも全面的に見ること、それゆえ指示することは(例 略)、そのような法則を説明することとは何か違ったことであり、違った精神の持ち主の仕事である。 二種類の道徳学者 曙光 428

「倫理を否定する」― このことは第一に、人間の申し立てる倫理的な動機が実際に彼らを行為に駆り立てたのだ、ということの否定を意味しうる。倫理の否定者には二種類ある 曙光 103

魂の呵責と憤慨

魂の呵責について「他人の身体に何らかの呵責を加えるなら、今日では誰でも大声で叫ぶ。そんなことができる人間に対する憤慨は直ちに起こる」。人がすごく憤慨する瞬間は、自分では何となく不服に思いつつ一応守っている各種「制限」、つまり社会的なルールを逸脱している人を見たときだったりします。

魂の呵責について

犠牲の倫理と道徳

犠牲の倫理と道徳。未開の段階の道徳。倫理や道徳と犠牲の概念を教育が一方的に定めていることに違和感がある。

犠牲の道徳

女嫌いの理由。

女嫌いの理由。IQ低い、卑怯、浪費、ルールを守れない、負けると集団で攻めてくる。女嫌い

愛玩動物という言葉

愛玩動物という言葉を筆頭に家畜果ては「経済動物」などという呼び方は、人間が人間との間で勝手に使っている言葉です。愛玩動物という表現は良い表現だとは思えない部分があります。「玩」という字が含まれているからです。姿やしぐさ、声などを楽しんだりすることを目的に飼育される動物、と、当の動物たちからすれば言われる筋合いのない言葉です。家畜に対する捉え方は生命維持というところから来ていますが、愛玩動物という捉え方は、必要性自体はなく、「ただ人間の感情のために利用する」というようなところから来ています。

家畜、愛玩動物

誇りやしたりと優越感

誇りやしたりは、自分だけが秘密を知っているという一種の優越感であり、弱者が強者に勝っているという自己陶酔をするための一種のルサンチマンでもあります。ニーチェは、ルサンチマンが大好きですから、価値基準のすり替えという点について触れることが多く道徳の系譜以降そればっかりです。
彼は相変わらず歯を食いしばり秘密をしっかりと守っている。諸君は人間の誇りの歓喜について何を知っていようか! 曙光 229

ソクラテスやアリストテレスの妻

ソクラテスのクサンティッペは相当の悪妻で有名。 アリストテレスの妻はピュティアス。 アリストテレスと結婚

舞台・演劇上の道徳的説教

舞台・演劇上の道徳的説教。シリアスさを出された時のあの嗚咽感。道徳的説教を含んだりするようなもの、人生哲学を説くような場面の時の嗚咽感。何かの原典があるのならその原典の読解力や解釈力、創作ならば元の思考力などに問題のある浅い人生哲学。 舞台の道徳について

不可能な階級とカースト

不可能な階級とカースト。階級として有名なものはカーストであり、単にインド・ネパール地域に侵略してきたアーリア人が自分たちをバラモンとし、現地民をスードラとし、その混血をクシャトリヤやバイシャとしたのが始まりである。カーストは階級、階層の概念を宗教的に作り上げたものになるが、現代であれば資本主義という一種の宗教の上で、隠れた階級階層の思想が出来上がっている 不可能な階級

魂の呵責と憤慨2

魂の呵責と憤慨。人がすごく憤慨する瞬間は、自分では何となく不服に思いつつ一応守っている各種「制限」、つまり社会的なルールを逸脱している人を見たとき。常識的なルールによる魂の呵責と憤慨。不服に思っているルールをわざわざ逸脱する必要もないが、「人に合わせすぎる」ということをやめていくとそうした憤慨はどんどんなくなっていく。魂の呵責について

批判への批判としての「ルサンチマン」

優越感を欲するのは意識的、無意識的問わず、自尊心を軸にしながら生きているからです。 優越感を刺激するものに対する「批判への批判」としてルサンチマンが使われたりします。 つまり弱者の怨恨であり、奴隷精神であり、解釈変更であり「僻みだ」と居直るようなことです。ルサンチマンはこういった使われ方もします。ただ、これは水掛け論であり、「見栄の塊だ」という批判への反論が「僻みだ」というのも、構造上決着がつきません。優越への努力 批判への批判としての「ルサンチマン」

修道女の純潔と復讐の快感 解釈変更とルサンチマン

修道女の純潔。彼女は何という非難のこもった眼差しで、違った生活の女性を真面(まとも)に見ることだろう!この眼差しには何と多くの復讐の快感があることだろう! 「そういう本来的な暮らし方を選んでいる自分たちは優れている」と「周りに主張」して、「優越感を得たい」という、最初に引用したようなことで、「基準を変える」というニーチェ風に言えばルサンチマンの典型例です。
修道女とまでいかなくてもルサンチマンが大好きな人は、自らの価値基準に従って、その価値基準に合致しない人は排除しようとする傾向があります。しかしその排除は合理的なものというよりも、優越感であり、解釈変更によって自尊心を保とうということの表れです。 解釈変更によって自尊心を保とう「優越感を得たい」というのもルサンチマンの典型例です。ルサンチマンとしての奴隷精神の解釈変更による「復讐」の快感です。

自制と節制とその究極の動機

自制と節制とその究極の動機

機会を避けること、規則を衝動に植えこむこと、衝動に対する飽満と嫌悪を生み出すこと。苦悩を与える思想の連想を完成すること。次に力の転位。最後に全身的な衰弱と虚脱。― これが六つの方法である。 曙光 109

思想家

思想家という人種はなぜ、思想家用語というか変な言葉を使うのでしょうか。「かくあるべし」「かく語りき」などですね。「こうあるべき」「こう言った」で十分なところを、なぜかそういう言い回しをする人が未だにいます。

思想家の盲目 曙光 426


現在思想家が何人集まろうが、それが思想である以上、思想の領域をでることはないでしょう。ある思想をもつと、その思想に執着してしまいます。かといって闇雲にわけもわからず全て間違いだとするのは、また変な話です。

どれほどの力が現在思想家の中に集まらねばならぬか 曙光 43

「何にもとらわれないので、奇抜」と、自称するのはいいですが、「かぶる事もあるかも知れない、でも、別にそれでもいいんだ」というのが自由というか、本 来の「何にもとらわれない」ではないでしょうか。100%オリジナルでないといけない、というか、そんなものが生み出せると思っているのが、既に自由では ないというようなことになりましょうか。

自由行為家と自由思想家 曙光 20


この利益のために現在実践的な生活を営むように予定された極めて多くの人々が、その顔に汗し、しかもずいぶん頭を悩まし、呪いながら、学問への道を歩んでいるが、しかしそのような労苦は思想家や学問研究者の群の責任では全くない。それは「自家製の苦労」なのである。

曙光 42

ニーチェ 1

ニーチェは実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者とされる。ソクラテス以前の哲学者も含むギリシア哲学やショーペンハウアーなどの影響が強く、鋭い批評で西洋文明を革新的に解釈した。

ニーチェは、神、価値、権力などの既存概念を解釈しなおし、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。
曙光1 曙光2 

ニーチェは、クリスチャニズム、ルサンチマンに満たされた人間の持つ価値は、ここにある生から人間を遠ざけるものであるとする。

曙光1

事物はそれが人に観察された時に解釈が生まれ、人に観察されるにつれて、「法則性」が発見され、他人に指し示しうるものとして扱われ始めます。 今その場で起こる現象の解釈が、もし誰かから教わった「法則性」というものの影響を受けないのならば、その場で起こる感情は、純粋なものになります。曙光1
        
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プロフィール

HN:
Nietzsche memo
性別:
非公開
自己紹介:
Nietzsche
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
ドイツの古典文献学者、哲学者。
ニーチェ自身は「心理学者」を自称。

哲学、ニーチェ