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Nietzsche ニーチェの軌跡

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

舞台・演劇上の道徳的説教

舞台・演劇上の道徳的説教。シリアスさを出された時のあの嗚咽感。道徳的説教を含んだりするようなもの、人生哲学を説くような場面の時の嗚咽感。何かの原典があるのならその原典の読解力や解釈力、創作ならば元の思考力などに問題のある浅い人生哲学。 舞台の道徳について
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不可能な階級とカースト

不可能な階級とカースト。階級として有名なものはカーストであり、単にインド・ネパール地域に侵略してきたアーリア人が自分たちをバラモンとし、現地民をスードラとし、その混血をクシャトリヤやバイシャとしたのが始まりである。カーストは階級、階層の概念を宗教的に作り上げたものになるが、現代であれば資本主義という一種の宗教の上で、隠れた階級階層の思想が出来上がっている 不可能な階級

魂の呵責と憤慨2

魂の呵責と憤慨。人がすごく憤慨する瞬間は、自分では何となく不服に思いつつ一応守っている各種「制限」、つまり社会的なルールを逸脱している人を見たとき。常識的なルールによる魂の呵責と憤慨。不服に思っているルールをわざわざ逸脱する必要もないが、「人に合わせすぎる」ということをやめていくとそうした憤慨はどんどんなくなっていく。魂の呵責について

パスカル パスカルの賭け

パスカルの賭けというものは、確率論的というのは少しおもしろみがあるものの、出だしが妄想というより社会的洗脳からはじまっていますから、あれほどの才能があるにもかかわらず、残念な結果になっています。類例としてあげられる親鸞は、もっとお粗末です。

批判への批判としての「ルサンチマン」

優越感を欲するのは意識的、無意識的問わず、自尊心を軸にしながら生きているからです。 優越感を刺激するものに対する「批判への批判」としてルサンチマンが使われたりします。 つまり弱者の怨恨であり、奴隷精神であり、解釈変更であり「僻みだ」と居直るようなことです。ルサンチマンはこういった使われ方もします。ただ、これは水掛け論であり、「見栄の塊だ」という批判への反論が「僻みだ」というのも、構造上決着がつきません。優越への努力 批判への批判としての「ルサンチマン」

修道女の純潔と復讐の快感 解釈変更とルサンチマン

修道女の純潔。彼女は何という非難のこもった眼差しで、違った生活の女性を真面(まとも)に見ることだろう!この眼差しには何と多くの復讐の快感があることだろう! 「そういう本来的な暮らし方を選んでいる自分たちは優れている」と「周りに主張」して、「優越感を得たい」という、最初に引用したようなことで、「基準を変える」というニーチェ風に言えばルサンチマンの典型例です。
修道女とまでいかなくてもルサンチマンが大好きな人は、自らの価値基準に従って、その価値基準に合致しない人は排除しようとする傾向があります。しかしその排除は合理的なものというよりも、優越感であり、解釈変更によって自尊心を保とうということの表れです。 解釈変更によって自尊心を保とう「優越感を得たい」というのもルサンチマンの典型例です。ルサンチマンとしての奴隷精神の解釈変更による「復讐」の快感です。

バーゼル大学教授だったニーチェ

1869年のニーチェは24歳で、博士号も教員資格も無いまま、リッチュルの推薦によりバーゼル大学から古典文献学の教授となった。

ニーチェは哲学の担当を希望したが受け入れられず、古代ギリシアに関する古典文献学を専門とする。研究者としては、「古代の詩における基本単位は音節の長さだけであり、近代のようなアクセントに基づく基本単位とは異なる」ということを発見した。

1872年、ニーチェは第一作「音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生」
再版以降は「悲劇の誕生」と改題を出版。

道徳の系譜 ルサンチマン

ニーチェによれば、ルサンチマンを保持する者とは

「本来の反動、行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」

ルサンチマンを持つ人は非常に受け身で、実際の行動をとるには社会的な制約があり、自身の無力を痛感している人。そういう状態にあっては誰であっても、ルサンチマンを持つ状態に陥る。

自制と節制とその究極の動機

自制と節制とその究極の動機

機会を避けること、規則を衝動に植えこむこと、衝動に対する飽満と嫌悪を生み出すこと。苦悩を与える思想の連想を完成すること。次に力の転位。最後に全身的な衰弱と虚脱。― これが六つの方法である。 曙光 109

思想家

思想家という人種はなぜ、思想家用語というか変な言葉を使うのでしょうか。「かくあるべし」「かく語りき」などですね。「こうあるべき」「こう言った」で十分なところを、なぜかそういう言い回しをする人が未だにいます。

思想家の盲目 曙光 426


現在思想家が何人集まろうが、それが思想である以上、思想の領域をでることはないでしょう。ある思想をもつと、その思想に執着してしまいます。かといって闇雲にわけもわからず全て間違いだとするのは、また変な話です。

どれほどの力が現在思想家の中に集まらねばならぬか 曙光 43

「何にもとらわれないので、奇抜」と、自称するのはいいですが、「かぶる事もあるかも知れない、でも、別にそれでもいいんだ」というのが自由というか、本 来の「何にもとらわれない」ではないでしょうか。100%オリジナルでないといけない、というか、そんなものが生み出せると思っているのが、既に自由では ないというようなことになりましょうか。

自由行為家と自由思想家 曙光 20


この利益のために現在実践的な生活を営むように予定された極めて多くの人々が、その顔に汗し、しかもずいぶん頭を悩まし、呪いながら、学問への道を歩んでいるが、しかしそのような労苦は思想家や学問研究者の群の責任では全くない。それは「自家製の苦労」なのである。

曙光 42

ツァラトゥストラはこう言った

山中で10年もの歳月を過ごしたツァラトゥストラが十分に知ることができたと悟り、人々に説教を行うために山を降りようとする。彼は道中で出会った隠遁者との対話で神の死を再認識し、街中で綱渡りを見るために集まった民衆に語りかけ、超人の思想を教えようとするが失敗した。綱渡りの大道芸は失敗して転落事故が起きる。ツァラトゥストラはその遺体を背負って埋葬しようとし、また弟子を求めるために説教を継続することが決意される。ここまでが本書の序章であり、以後に4部構成にわたってツァラトゥストラの物語が描かれている。
ニーチェの初期の思想におけるディオニュソス概念がツァラトゥストラに結実したこと、また永劫回帰の思想がはじめて本格的に展開された。本来あるべき態度とは隣人に対する愛ではなく、未来に出現する者への遠人愛であると説く。そのことによってニーチェは伝統的な価値観を否定するだけでなく超人の思想を生み出すための方向性を示している。
永劫回帰と積極的ニヒリズムについての書。神の死、超人、永劫回帰の思想が論じられている。

善悪の彼岸

ニーチェはこの『善悪の彼岸』で過去の哲学者たちが道徳性について考察するときに、批判的感覚が欠けていた疑いがあることと、とりわけキリスト教の諸前提を盲目的に受け入れていたことを非難している。

悦ばしき知識

ニーチェは有名な「神は死んだ」と伝統的宗教からの自然主義的・美学的離別を決定づけ、永劫回帰説を本書で提示する。これは、世界とその中で生きる人間の生は一回限りのものではなく、いま生きているのと同じ生、いま過ぎて行くのと同じ瞬間が未来永劫繰り返されるという世界観である。これは、来世での報酬のために現世での幸福を犠牲にすることを強いるキリスト教的世界観と真っ向から対立する。

人間的な、あまりにも人間的な

ニーチェの思想の根本要素が垣間見られるとはいえ、本書は何かを解釈するというよりは、真偽の定かでない前提の暴露を盛り合わせたもので、体系的な哲学の構築を避け、アフォリズム数百篇によって構成するという中期以降のスタイルは、本書から。ニーチェは、パースペクティヴィズムと力への意志の概念を用いてみせる。

悲劇の誕生

『悲劇の誕生』で説いたような悲劇の精神からは遊離してしまって、生というものを見ず、俗物的日常性に埋没した者を、つまり単に教養のみ蓄積するだけ蓄積してそれに自己満足していて、その教養を自身の生にまったく活かそうとしない、当時のドイツに蔓延していた風潮を、「教養俗物」と名づけた。ニーチェ自身の著作が受け容れられないのは、現代のキリスト教的価値観にとらわれながら古典を読むといった当時の古典文献学の方法にあると考え、やがて激しい古典文献学批判を行なう。

それ「自体」

昔人々は、おかしなものが性質として付着している物がわれわれの外部に存在するかのように、おかしなものとは何であるか?と問うた。 それ「自体」

無意味

無意味な行動や無意味なものについて、「そんな無意味なもの」とレッテルを貼って馬鹿にするのはやめておいたほうがいいかもしれません。

たいていのことに意味付けを行うことはできますが、「意味がある」を根拠に何かと相対化して、相手を「子供扱いする」のは変な話です。無意味

哲学

philosophy 哲学
「哲学」と「思想」を峻別するという哲学上の立場がある。
哲学は学問として「よい思考」をもたらす方法を考えるのに対し、思想はさまざまな物事が「かくあれかし」とする主張とする。他の学問と哲学を区別する特徴となるような独自の方法論が哲学にあるかはなかなか難しい。

ニーチェ 1

ニーチェは実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者とされる。ソクラテス以前の哲学者も含むギリシア哲学やショーペンハウアーなどの影響が強く、鋭い批評で西洋文明を革新的に解釈した。

ニーチェは、神、価値、権力などの既存概念を解釈しなおし、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。
曙光1 曙光2 

ニーチェは、クリスチャニズム、ルサンチマンに満たされた人間の持つ価値は、ここにある生から人間を遠ざけるものであるとする。

曙光1

事物はそれが人に観察された時に解釈が生まれ、人に観察されるにつれて、「法則性」が発見され、他人に指し示しうるものとして扱われ始めます。 今その場で起こる現象の解釈が、もし誰かから教わった「法則性」というものの影響を受けないのならば、その場で起こる感情は、純粋なものになります。曙光1

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)は、ドイツの古典文献学者、哲学者。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには文学的価値も認められる。1844年10月15日 - 1900年8月25日

悲劇の誕生

反時代的考察

人間的な、あまりにも人間的な

曙光

悦ばしき知識

ツァラトゥストラはこう言った

プロフィール

HN:
Nietzsche memo
性別:
非公開
自己紹介:
Nietzsche
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
ドイツの古典文献学者、哲学者。
ニーチェ自身は「心理学者」を自称。

哲学、ニーチェ