フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
パスカルの賭けというものは、確率論的というのは少しおもしろみがあるものの、出だしが妄想というより社会的洗脳からはじまっていますから、あれほどの才能があるにもかかわらず、残念な結果になっています。類例としてあげられる親鸞は、もっとお粗末です。
コメントを受けつけておりません。
プロフィール
カテゴリー
最新記事
RSS
哲学、ニーチェ