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Nietzsche ニーチェの軌跡
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
認識の悲劇が終わるとき
ニーチェ 曙光
2024年09月20日
認識の悲劇は、がっかりという気づきによって終りを迎える。認識の悲劇の終幕ということで自己犠牲の力とがっかりについて。体一つとっても常に変化をしている。今の自分と一秒前の自分も似たもの、似た働きが連続しているかのように起こっているだけで、別物といえば別物、同じようで違う、一瞬たりとも同じ自分であった試しはない。
認識の悲劇の終幕
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仕事は信仰から必然的に出てくるはずであるというあの根本的な誤謬
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プロフィール
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Nietzsche memo
性別:
非公開
自己紹介:
Nietzsche
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
ドイツの古典文献学者、哲学者。
ニーチェ自身は「心理学者」を自称。
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