ニーチェという哲学者の名前を聞いて、「ナチズムの思想的先駆者」「強い者が弱い者を支配することを肯定した危険な思想家」というイメージを抱く人は、現代でも少なくありません。
しかし、近年の研究によって明らかになったのは、そのイメージの多くが、彼の死後に捏造された「偽りの神話」であったという事実です。 その捏造の主犯こそが、皮肉にも彼が最も身近に接し、晩年の介護を担った実の妹、エリザベート・フェルスター=ニーチェでした。
発狂し、言葉を失った哲学者の枕元で何が起きていたのか。そして、いかにして孤高の思想は全体主義の道具へと変質させられたのか。 ニーチェの最期と、妹による「思想の簒奪(さんだつ)」の歴史を紐解きます。
【狂気と沈黙の10年間】
1889年1月、イタリアのトリノ広場。馬が鞭打たれているのを見たニーチェは、泣きながらその馬の首を抱きしめ、そして崩れ落ちました。 この日を境に、彼の精神は崩壊しました。かつて鋭い筆致でキリスト教道徳や西洋文明を批判した知性は失われ、彼は母親と妹の介護なしでは生きられない状態となります。
1900年に亡くなるまでの約11年間、ニーチェは「生ける屍」として過ごしました。 この「本人が何も語れず、反論もできない」という状況こそが、妹エリザベートにとって都合の良い空白地帯となりました。彼女はこの空白を利用し、兄を「自分の理想とする予言者」へと作り変える作業に着手したのです。
【妹エリザベートの野心と政治的背景】
妹エリザベートは、単なる献身的な介護者ではありませんでした。彼女は狂信的な反ユダヤ主義者ベルンハルト・フェルスターと結婚し、南米パラグアイに「純粋アーリア人の理想郷(ニュー・ゲルマニア)」を建設しようとして失敗した過去を持つ、極めて政治的な人物でした。
夫の自殺後、ドイツに帰国した彼女は、兄の名声が徐々に高まっていることに気づきます。彼女は兄の遺稿管理権を独占し、「ニーチェ・アルヒーフ(文書館)」を設立。そこを拠点に、兄のブランディングを開始しました。
彼女は、白い患者衣を着て虚空を見つめる兄を「受難の哲学者」として演出し、見世物のように扱ったとも言われています。しかし、より罪深いのは、テキストそのものへの介入でした。
【最大の捏造:『力への意志』という偽書】
ニーチェの主著として長く扱われてきた『力への意志』。実は、ニーチェ自身の手によって完成された著書としては存在しません。 これは、ニーチェが書き散らした膨大なメモ(遺稿)の中から、エリザベートが自分の意図に沿うものだけを抜き出し、継ぎ接ぎして一冊の本に仕立て上げた「編集著作」なのです。
ニーチェの本来の思想は、断章形式で多義的であり、体系化を嫌うものでした。 しかしエリザベートは、それを体系的な「強者の哲学」として再構成しました。 ・都合の悪い記述(反ドイツ、反反ユダヤ主義的な記述)の削除 ・文脈の無視と改変 ・手紙の改竄
これらを通じて、ニーチェの思想は「ドイツ民族の優位性」や「軍国主義」を肯定するかのような、単純かつ暴力的なドグマへと歪められていきました。
【ナチズムへの接続とヒトラーの訪問】
エリザベートの「政治工作」は、ナチ党の台頭とともに決定的な局面を迎えます。彼女は兄の哲学を、ナチズムを正当化するプロパガンダとして売り込みました。
「超人(Übermensch)」という概念は、本来「自らの価値観を創造し、運命を愛する者」という精神的な高みを目指す言葉でした。しかし、それはナチスの文脈で「生物学的に優れたアーリア人種」という人種差別的な意味へとすり替えられました。 「金髪の野獣」という比喩も、高貴な精神のメタファーではなく、文字通りの野蛮な侵略者を賛美する言葉として利用されました。
1934年、アドルフ・ヒトラーはワイマールのニーチェ・アルヒーフを訪問します。エリザベートはヒトラーを出迎え、兄の杖を彼に贈呈しました。 「孤高の哲学者ニーチェ」が、全体主義の独裁者の「精神的支柱」として公認された瞬間でした。 ニーチェが生涯を通じて最も軽蔑し、激しく批判していた「反ユダヤ主義」と「ドイツ国家主義」の象徴に、彼自身が祭り上げられてしまったのです。これほど残酷な皮肉はありません。
【結論:ニーチェを「奪還」するために】
第二次世界大戦後、ナチスの崩壊とともにニーチェの評価も地に落ちました。しかし、1960年代以降、コッリとモンティナリという二人のイタリア人学者による綿密なテキスト研究が進み、エリザベートによる改竄の実態が暴かれました。
現在出版されているニーチェ全集は、エリザベートの恣意的な編集を排除し、彼が書いたそのままの順序と内容で復元されています。私たちはようやく、妹のフィルターを通さずに、ニーチェの生の声に触れることができるようになりました。
ニーチェの悲劇は、思想家にとって「誰に解釈されるか」「誰が遺産を管理するか」がいかに重要かという教訓を残しました。 彼は著書『この人を見よ』の中でこう予言していました。
「私はいつか、聖者の列に加えられるのが怖い」
彼の恐れは現実となりました。彼を「聖者(ナチスの預言者)」に仕立て上げたのは、皮肉にも彼を介護し、最も愛していると公言していた妹でした。 私たちがニーチェを読むとき、その背後にあるこの「家族の肖像」と「政治的略奪」の歴史を知っておくことは、彼の言葉の真意、すなわち「群れることを嫌い、個として立つことの厳しさ」を理解する上で、不可欠な視点となるはずです。
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