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Nietzsche ニーチェの軌跡

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

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弱者の絆

不手際を棚に上げた弱者同志の絆。 何かしらのスキルをつけようともしなかったことを棚に上げて社会のせいにし、グチグチ言いながらもすがることしか出来なかった弱者たちは、弱者同志で群れ合って強者を非難する。 危機に瀕した者の慰め
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懐疑はすでに罪である、に対して

懐疑はすでに罪である、に対して、これは一種の閉じ込めであると示唆する。 本来、疑うことで洗脳やマインドコントロールを回避することができる。 一方、疑うことは信じていないということであり、また信じているということは疑いを孕んでいるということでもある。 罪としての懐疑

あわれな人類と罪

悪魔のような犯罪者も、見方によれば被害者である。誰かの自己都合・自尊心の都合により優劣を定め、自尊心の高まりとは逆方向に虐げられる側にマイナスのエネルギーが生じ、それが最後に限界領域に来た時に犯罪者を作る。 あわれな人類!

仕事は信仰から必然的に出てくるはずであるというあの根本的な誤謬

曙光 22 仕事は信仰から必然的に出てくるはずであるというあの根本的な誤謬

仕事と信仰。信念として持っていることや信仰として持っていること、そして話していることなどと仕事内容に矛盾があるケース 仕事と信仰

賞讃や非難によってもたらすもの

賞讃や非難によってもたらすもの。それは自責の念を形成してマインドコントロールである。
賞讃と非難
その人の気分はその人の気分であり、特に気にする必要はない。 賞讃や非難に反応していると、賞賛を欲し、非難を恐れるという構造からマインドコントロールされてしまう。他人から賞讃を受けると喜び、非難を受けると落ち込んだり起こったりするというのが一般的ではあるが、そうしたマインドコントロールリスクがあることは忘れてはならない。そして、それを全く気にしないという境地が最も理想的である。

同じ考え方の人間と違った考え方の人間

集中と智慧の方向は同じであり、知識と智慧は真逆である。知識、知識体系を出だしから排除しても良いが、その場合は排除する理由を説明できなければ戯言となる。 同じ考え方の人間と違った考え方の人間という対比の中で同じ違った考え方の人間への経緯があれば、その論理を覆す試行鍛錬が繰り返され、より高い次元の思考に到達できるが、同じ人間ばかり評価していると思考は停止する。 駄目になる

慈善家の世話と期待

慈善家の世話と期待。自立心があり、世話をする側ほど粗末に扱われる。出来の悪い世話をされる側ほど目にかけられ、世話をする側に好かれる。慈善家である助ける側は、頼られている、役に立っているという一種の満足感と、それを愛情だと錯覚しているところがあり自分の生き方の条件にしている。 慈善家

仲間の数を集めようとする弱い宗派

仲間の数を集めようとする弱い宗派。宗派に限らず何かの思想団体のようなものは、数で勝負しようと、仲間を見つけようとする。それには、数の力による発言権の獲得の意図もあるが、主義や狭義を多数の力で信じたいという意志の弱さや論理的な不完全性を示すものでもある。新興宗教・カルト宗教でなくとも、何某かの思想を持った団体、主義や主張を持った組織にはその傾向がある。 弱い宗派

英雄崇拝と狂信

崇拝には狂信がつきものであり、英雄崇拝は対象が英雄ということにはなるが、何かを崇拝するということ自体がカルトである。崇拝は狂信であり、対象が政治を含めた英雄であればよいというわけではない。候補者などを支援しつつ、聞かれてもいないのに「私はこの人を支持します」や「私も同じ考えです」と投稿するというのもひとつの狂気である。 英雄崇拝とその狂信者

虚構の事実と蓋然性

虚構の事実と蓋然性。蓋然性と推測。世間での事実は全然事実ではなく事後的解釈であり、推定しその場で事実らしきものを意識の中で構築しているだけで事実ではない。ゆえに蓋然性が問題となる。情報だけを頼りに蓋然性と推測で何とか判断するしかない。 事実!そうだ虚構の事実!

プロフィール

HN:
Nietzsche memo
性別:
非公開
自己紹介:
Nietzsche
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
ドイツの古典文献学者、哲学者。
ニーチェ自身は「心理学者」を自称。

哲学、ニーチェ

ニーチェ

ドイツの古典文献学者、哲学者 悲劇的認識、デカダンス、神は死んだ、アンチクリスト、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志