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Nietzsche ニーチェの軌跡

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

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愛玩動物という言葉

愛玩動物という言葉を筆頭に家畜果ては「経済動物」などという呼び方は、人間が人間との間で勝手に使っている言葉です。愛玩動物という表現は良い表現だとは思えない部分があります。「玩」という字が含まれているからです。姿やしぐさ、声などを楽しんだりすることを目的に飼育される動物、と、当の動物たちからすれば言われる筋合いのない言葉です。家畜に対する捉え方は生命維持というところから来ていますが、愛玩動物という捉え方は、必要性自体はなく、「ただ人間の感情のために利用する」というようなところから来ています。

家畜、愛玩動物
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認識の悲劇が終わるとき

認識の悲劇は、がっかりという気づきによって終りを迎える。認識の悲劇の終幕ということで自己犠牲の力とがっかりについて。体一つとっても常に変化をしている。今の自分と一秒前の自分も似たもの、似た働きが連続しているかのように起こっているだけで、別物といえば別物、同じようで違う、一瞬たりとも同じ自分であった試しはない。

認識の悲劇の終幕

隣人愛「あなたの隣にいる人を愛しなさい」

「隣人愛」といえば、「あなたの隣にいる人を愛しなさい」というものです。新約聖書で馴染み深いフレーズです。しかしながら、愛することと、何かの要求に応えることは別物です。
隣人愛を盾に自己都合を押し付けてくる人もいますし、何かを為すこと、要求に応えることが正解ではない場合もあります。

別の隣人愛

人生に失敗

人生に失敗。「人生に失敗した」とか「失敗した人生だ」とか「人生が失敗続きだ」といったことに嘆く場合の失敗とは一体何なのでしょうか?成功という概念そのものが何かの基準によって成り立っているものであり、成功と失敗は単なる相対的な自己判断にしか過ぎません。

人生に失敗した人々

犠牲の倫理と道徳

犠牲の倫理と道徳。未開の段階の道徳。倫理や道徳と犠牲の概念を教育が一方的に定めていることに違和感がある。

犠牲の道徳

倫理の否定者

倫理や道徳を槍や盾にした脅迫。そうした脅迫を否定する。倫理の否定者の種類・分類としては、こうした倫理の構造におけるどの段階を否定するのか。誤謬が人間を道徳的な行為へ駆り立てる。
倫理の否定者には二種類ある

風習の倫理

倫理思想と風習の倫理…「風習とは、行為と評価の慣習的な方式である」結局宗教的なことを風習や文化だと解釈して倫理を定義している様がよくある。風習の名の下、人格や概念の基礎ができるような時に宗教団体としての日本的仏教の方式を半ば強制されることは、無意識的にそれら宗教団体の正当性を支えるものとなりうる。風習の倫理の概念

虚栄心の捉え方

虚栄心(きょえいしん)は、いわゆる見栄をはり、自尊心を高めようということ。ニーチェによると虚栄心とは、独創的だと思われることに対する恐怖心=「誇りの欠如」。虚栄心とは他者に対して、現実の自分と比べて良くみせようと思うこと、自分をよく見せようと見栄を張ることや自惚れである。

虚栄心の原因と心理の裏側

自由思想家

自由思想家は、自由に思想を展開する者である。また、権威や宗教的超越的教理から脱し、人間の側の理性や良心の立場から思想を思索する思想家で啓蒙的理神論者も大きくはこれに含まれる。 その地域においての宗教を前提とした発想や風土・文化に縛られずに自由に思想を展開していくと解されよう。

自由行為家と自由思想家

女嫌いの理由。

女嫌いの理由。IQ低い、卑怯、浪費、ルールを守れない、負けると集団で攻めてくる。女嫌い

プロフィール

HN:
Nietzsche memo
性別:
非公開
自己紹介:
Nietzsche
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
ドイツの古典文献学者、哲学者。
ニーチェ自身は「心理学者」を自称。

哲学、ニーチェ

ニーチェ

ドイツの古典文献学者、哲学者 悲劇的認識、デカダンス、神は死んだ、アンチクリスト、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志