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Nietzsche ニーチェの軌跡

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

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「超人」と「権力への意志」

「超人」と「権力への意志」

晩年のニーチェは、永劫回帰という概念を用いて消極的ニヒリズムやルサンチマンを否定し、生を肯定するために、「超人」と「権力への意志」という概念を示した。 超人思想とは、能動的ニヒリズム的に生きる姿といった概念です。「生の肯定」として、永劫回帰の中で「生きること」を肯定して生きるということ。「ツァラトゥストラはこう言った」などで示した。 権力への意志とは、生の本質として、内的条件が外的に適応するというものではなく、それそのものとしてあるものということ。遺稿集のタイトルにもなっているが、力への意志と表現されることもある。
超人思想とは、ニーチェが「ツァラトゥストラはこう言った(Also sprach Zarathustra)」あたりで示した、能動的ニヒリズム的に生きる姿といった概念です。「生の肯定」として、永劫回帰の中で「生きること」を肯定して生きるという感じです。 力への意志(権力への意志,Der Wille zur Macht)とは、生の本質として、内的条件が外的に適応するというものではなく、それそのものとしてあるものという感じです。 超人思想と力への意志(権力への意志)
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ニーチェと永劫回帰

ニーチェと永劫回帰。永劫回帰はドイツ語の「Ewig Wiederkehren」であり、永劫回帰がはっきりと登場するのは「ツァラトゥストラはこう言った」です。これはニーチェがルサンチマンやニヒリズムを脱却するものとして考えた思考実験的概念になります。
永劫回帰(永遠回帰)とは、「この生が何度も何度も繰り返されるとすれば…」ということをもって今の生を肯定する試みであり、ニーチェがルサンチマンやニヒリズムを脱却するものとして考えた思想になります。永劫回帰(永遠回帰)
永劫回帰(永遠回帰)は、生の肯定であり、宇宙において質量が保存され、そして時間が無限であるのならば、いつかは全く同じ状態になるという思考から導き出されています。永劫回帰の観念は、生きてきたこの人生をもう一度、 さらには無限回にわたり繰り返して生きなければならないという言葉から来ています。

犠牲の倫理と道徳

犠牲の倫理と道徳。未開の段階の道徳。倫理や道徳と犠牲の概念を教育が一方的に定めていることに違和感がある。

犠牲の道徳

倫理の否定者

倫理や道徳を槍や盾にした脅迫。そうした脅迫を否定する。倫理の否定者の種類・分類としては、こうした倫理の構造におけるどの段階を否定するのか。誤謬が人間を道徳的な行為へ駆り立てる。
倫理の否定者には二種類ある

風習の倫理

倫理思想と風習の倫理…「風習とは、行為と評価の慣習的な方式である」結局宗教的なことを風習や文化だと解釈して倫理を定義している様がよくある。風習の名の下、人格や概念の基礎ができるような時に宗教団体としての日本的仏教の方式を半ば強制されることは、無意識的にそれら宗教団体の正当性を支えるものとなりうる。風習の倫理の概念

生きることは苦しみである

生きることは苦しみであるという仏教上の生苦。狭義の生苦は、生存本能に命令されるがまま生命活動を行う苦しさのことを意味する。
生命は賛美される傾向にあるが、生きていることこそ苦しみの原因であると捉えるのが生苦であり、しかしその原因は生きていることそのものにあるわけではないということを示唆するのも生苦である。

生苦

生きることは苦である、生きることは苦しみである、生まれてきたことは苦しみであるということを捉えるのが四苦八苦の四苦、生老病死の生苦の概念である。
「生苦」生きる苦しみ

虚栄心の捉え方

虚栄心(きょえいしん)は、いわゆる見栄をはり、自尊心を高めようということ。ニーチェによると虚栄心とは、独創的だと思われることに対する恐怖心=「誇りの欠如」。虚栄心とは他者に対して、現実の自分と比べて良くみせようと思うこと、自分をよく見せようと見栄を張ることや自惚れである。

虚栄心の原因と心理の裏側

怨憎会苦との向き合い方

怨憎会苦との向き合い方。「怨憎会苦(おんぞうえく)」は恨み憎んでいる人に会ってしまうこと。不倶戴天の敵と会う苦しみである。恨んだり憎んだりしている相手とも会わなければならない苦しみであり、それを思い出したり、会うことを想像する苦しみでもある。

怨憎会苦をよく考えると


ただ、怨憎会苦をよく考えると相手を嫌い、抵抗すると、相手の怒りに反応したことになる。
苦手意識を持った相手に対して「嫌いで苦手な心」をなくせない苦しみだが、ただでさえ嫌いな相手に、感情や行動をコントロールされるというのは徹底的にバカらしい。それを乗り越える方法がかならずあるはずだ。諸行無常ゆえ全ては変化し、自分も周りの人も常に変化していくので、いつどこで嫌いな要素が出てくるかはわからない。しかし少なからず怒りは、その裏に期待や固定観念があって、目の前の現象がそれに合致していないという感じのところから起こる。
怨憎会苦とは嫌いな人と出会わなければならない苦、それを考える。
怨憎会苦

諸法無我 仏教と哲学

仏教にある諸法無我(しょほうむが)の概念は哲学的にも素晴らしい論理が成り立っている。しかしながら諸法無我はわかりにくい概念であり、わかりやすく説明することが難しい。

諸法無我
仏教の三宝印・四法印として有名な諸法無我あるいは諸法非我(しょほうひが)は、パーリ語で「sabbe dhammā anattā」。これは、全てはあらゆる因縁によって起こっており、その中で固定的な「我」というものは無いというような意味(厳密には「我ならざるもの」)。しかし、その理の中には複数の意味が複合的に内包されている。因縁によって生じたものであり実体がないというのが基本的な意味であり、因と縁により今生じているだけというのが諸法無我である。

真理とは

真理とは、真なる理(ことわり)であり、真実の道理。よって真理は誰にでも確認できる断りでなければならない。真理が書かれているから聖典であり、聖典の記述であるから真理であるというようなものは論理がおかしい。
真理とは、誰にでも再現可能であり、今すぐに確認できるものであり、誰かの主義や考え方で変更できないようなものです。

真理とは何か?

プロフィール

HN:
Nietzsche memo
性別:
非公開
自己紹介:
Nietzsche
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
ドイツの古典文献学者、哲学者。
ニーチェ自身は「心理学者」を自称。

哲学、ニーチェ

ニーチェ

ドイツの古典文献学者、哲学者 悲劇的認識、デカダンス、神は死んだ、アンチクリスト、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志