仏教上の死苦を哲学的に捉えると、死そのものの苦しみではないことがわかる。
仏教の四苦八苦における死苦(しく)とは、死ぬ苦しみ、死の苦しみでありながらも、哲学上、経験は生の上にあるものであり、死そのものは経験し得ないため、厳密に考えると「死に対する恐怖」や「死にたくないという思い」から起こる苦しみを示すことになる。また、「死は免れない」ということを示す。 一般的に想起される死は頭の中で起こる現象としてしか形成され得ない。
死苦は対象が死になっているものの、哲学的に考えると生命としての死ぬ苦しみ、死の苦しみといったものは矛盾となり、論理の構造上死苦は、この生や生命への執著がもたらす苦しみであることを示すことになる。
「死苦」死ぬ苦しみ
死を想起し、死に恐怖を覚えたところで何をどうすることもできないという中、生への執著から苦しみ、不満足が起こる。これが仏教上の死苦である。